頭や心が動き移動し回ってるように思っているが、実際には肉体を保持させるだけのこの物体なのかぁと最近自分のことを思う。扱いを変えたら肌や髪の質感が変わったり、食べる量を変えたら体の質感が変わったりして、そういう観察対象として面白い。却って頭や心と身体の乖離が大きくなる気もする。身体を器と捉えたにしても、意識が中に収まっているとは考えづらい。ラジオみたいに、空間内にある意識を脳がキャッチしているという例のあれが、1番自分の実感に近い。
しかし全ての私の行動の選択までもが言葉、たとえばmbtiなんかに吸収されていく。かなしい。私はいなくなったって良いって思う。長いこと、意識あるいは生命の母体は1つだと思っている。なんらかの一点(あるいは点では無いのかもしれない)から伸びた沢山の糸かチューブか鎖か何かで私たちは繋がれていて、そこから外れることはできないんじゃないか。だから他人との一体感を感じるだとか無意識に共鳴するだとか、そういうのは必然であって、そうじゃないことの方が尊いから探したいと思う。
などと言ったって全ては予定されていたり若しくはやり尽くされていたりするのだろうか。中学生の時読んで以来の地下室の手記を数日前ぱらぱら開いてみたが、とても読めなかった。